神保町のシマリス老人と見世物小屋のヘビ女とヒヤシンスの老化

三月○日

 そのつもりはまったくないのに、仕事がたてこんでくる。二月刊予定の単行本

がひと月遅れて、四月刊のはずの単行本がひと月繰りあがって、三月三冊同時

進行ということになった。土曜日も会社に行かなければならなかったりする。

 昼すぎにJR御茶ノ水駅でおりて、いつになくこんでいる楽器街を過ぎて神保町

に入る。平日には見ない家族づれが歩いている。ひごろはぼんやりした老人

か、うすぼんやりした学生しか歩かないところを、「まあジャージもありかな」と神

保町をなめくさった、いってみれば三鷹駅前周辺を歩く若い家族づれのような連

中が闊歩している。井の頭公園のモルモット広場にあたらしいモルモットが入る

と「いつもの立ち位置が微妙にずれてこまる」とモルモットがぐちることがある、

と性悪フェネックに聞いたことあるけど、きょうのすずらん通りはたしかに歩きに

くい。

 家族づれだけじゃなくて、古本探しに劇場的に気合いを入れて傍若無人に小

走りする老人もそこかしこにいる。このての避けてもぶつかってくる老人をこなし

ながら、会社にたどりつき、ビルの裏口から入る。入り口で、セキュリティーカー

ドをドアの横のモニターにかざす。

「警備を解除します」

 物騒なアナウンスが、「バックしますご注意ください」と同じ女の人の声で流れ

る。ドアの鍵を、あわてながら開けて編集部に入る。

 そこから、うんざりする一日が始まる。ゲラに朱入れしたり、項目の構成を入れ

替えたり、写真の順番を考えたり、まあ雑務に追われる。なにも土曜日にやらな

くてもという仕事ばかりである。ああハートランドビール飲みたい。

 夕方、この苦の世界(宇野浩二とはちがうけど)から解放され、会社を出る。す

ずらん通りでは、ジャージ家族や老人たちがあいかわらずうろうろしている。老

人なんて、実家に戻ったシマリスのように、わがもの顔でそそくさと移動してい

る。けっしてそうなりたいわけではないけど、楽しそうという一点において、老人

たちはうらやましい。

 ふたたび電車に乗り、荻窪で総武線に乗り換えて、西荻窪でおりる。南口を出

て、いつもの居酒屋に入る。いつもの性悪フェネックがいる。

 横に座ると、いきなり「最近のツイッター、いまいちすぎませんか」といわれる。

まだ飲んでもないのに、なんなんだこいつ。

「たとえば、読んでみますよ。はい。寒い朝、ひょいひょい歩いていると、井の頭

公園に向かう保育園児の行列とすれちがう。『バイバーイ』と、ひとりのちびっ子

がこっちを見上げて手を振る。私もポケットから手を出してバイバーイと笑顔。す

ると保母さん、『ありがとうございますう』と、見世物小屋のもぎりのように無表情

で頭を下げる」

 読み終わって、こざかしいキツネはおおげさなため息をつく。

「この見世物小屋って、なんなんですか?」

「神社の祭りとかでたまに見るやつ」

「ヘビ女とかでしょう」

「よく知ってんじゃん」

「ああいう安直なものに、動物園は客を取られているんですよ」

 いつものことだけど、発言に根拠なんてないくせに偉そうである。

「飼育部長のマチダさんが朝礼でいってました。だから、あんな見世物小屋のこ

と書くのやめてください。流行ったら、どうするんですか」

「ツィッターがいまいちすぎるって、そういうこと?」

 すこし安心する。

「いや、全体的にしょぼいし、酔ってる感じが痛いですけど、とりあえず見世物小

屋問題をとおもって」

 腹を立てる前に、ハートランドビールを飲む。なんだよとりあえずって。ビール

かおれは。

「ビールもいいけど、見世物小屋のこと、書かないでくださいよ」

「そんなにいうならさ、動物園の中に見世物小屋をつくるとかさ。性悪フェネック

なんて、動物園より見世物小屋が似合いそうだな。居酒屋で飲んだくれるキツ

ネなんてけっこう客入るぜ」

 ぐびぐび飲んで一気にしゃべると、性悪フェネックがうつむいて黙る。どこかの

芯をくったらしい。みるからにしょんぼりしている。めんどくさいキツネ属である。

「わかったよ悪かったよ、いいから飲めよ」

「いいですもう」

 性悪フェネックは、うつむいたままいう。これはこれでめんどくさなくていいかと

はいわずに、牛肉春雨とねぎぬたを頼む。

「あ、焼き油揚げもお願いします」

 私を無視して、店の主人に直接いう。

「回復するの早くね?」

「ぐれてるのもめんどくさいんです」

 そうだよなとはおもうけど、それも口に出さずに大七の燗酒を頼む。これで、ま

あいいかというかんじをかもす。

 で、それより性悪フェネックに聞かなければならないことがでてきた。

「つか、なんでツイッターなんて見られるのかな」

 ただのキツネがパソコンとか見られるのかという、この日記の屋台骨を崩しか

ねない質問をしてみた。これはこれでけっこうどきどきするものである。

「は?」

「は、じゃなくて」

「いまごろ何いってんですか。動物園の事務所にしのびこめば、そんなの見放題

です。鍵はニホンザルに賄賂渡せば貸してくれますし、飼育係のアイフォンとか

もあるし。エサやりしてるときなんて、みんな事務所に置きっぱですからね」

「え? 何を置きっぱなの?」

「あ、美和ちゃん」

 美和ちゃんが入ってきて、性悪フェネックの隣に座る。

「聞いてください。このおじさんのツイッターがつまんないとかいったら、見世物

小屋に入れちゃうぞとかいうんです」

 ちょっとちがうけど、こいつにからんでも、ろくなことにはならない。

「見世物小屋って、花園神社とかにかかってるやつでしょ?」

「たぶん」

「わたし、ヘビ女見たことある」

「ほんとですか? え、どんなのですか、首、長いですか?」

 あれほど見世物小屋のことをいうなといってたくせに、こんどは興味深々でい

やがる。

「ふふふ、首なんか長くないわよ」

 美和ちゃんが見たのは花園神社の見世物小屋だった。入っていくと、てろてろ

した着物を羽織った二十代後半ぐらいの女の人が、パイプ椅子に座っていた。

横の机には新聞紙にくるまれたシマヘビが置かれている。観客が集まると、女

の人はその新聞紙から、頭をちぎられたヘビの胴体を少しだけ出し、はぷっとく

わえた。

「何をするのかとおもったら、そのままヘビを食いちぎろうとするんだもの」

 女の人はちらっとこっちを見て、あごを左右に振り、ヘビの胴体を二センチちぎ

りとった。

「そのあと、そのヘビを食べたのかどうかはおぼえてないんだけど、かわいい女

の子がそんなことするというのは、ショックだったな」

「おいしいんですかね、ヘビって」

「それはキツネのほうがくわしいだろう」

 ここで私が口をはさむ。

「は? 動物園生まれですからぼくは。ヘビなんて食べるわけないでしょう」

「その『は?』ってのやめない?」

「は?」

「まあいいじゃない」と美和ちゃんが、性悪フェネックに大七の燗をついでやる。

ついでに私もついでもらう。

「ま、そういうことで、乾杯。で、だし巻き玉子お願いします」

 美和ちゃんはここのおいしいんだよねといいながら、「最近何かおもしろいこと

なかった?」って聞いてきた。あります、あります。

「このまえ井の頭公園を歩いてたときなんだけど」と、私の話は始まる。

 公園の池の西側の道を四、五歳の男の子が補助つき自転車で走っていた。ま

だ乗りなれてないのか、ハンドルを大げさに右に左に曲げて、いまにも転げ落ち

そうである。

 子どもの前で、中腰の母親が手まねきしながら先導する。「バックオーライ」の

要領である。

「ケンちゃん、はい、はい、前を向いて。転んだってだいじょうぶだから。ね、また

起きればいいんだから。ほら、前を見て進むのよ」

 子どもは何をいわれても要領を得ない。

「だけど、この子どもが大人になって新宿三丁目の酒場で深酒して、トイレであ

いだみつをのカレンダーを見たら、たぶん意味もわからず涙があふれるとおもう

んだよな」

 話し終えて、大七をつぐ。達成感にみちる。

「いまの、何がおもしろいんですか?」

 性悪フェネックが私の置いた大七の銚子をとりかえすようにして、自分のところ

まで運んでつぐ。

「あいだみつをって知らないだろ?」

「は?」

「じゃあ無理だね」といって、美和ちゃんを見る。

「どうかな。今回のは、中の下かな」

「はあ」

 こんどは私がため息をつく。

「まあ、気にするなって」と性悪フェネックにタメグチではげまされる。

 そのあとで、美和ちゃんが友だちに借りて見たローリングストーンズのDVDの

話をした。辞めたくてしかたがなさそうなビル・ワイマンや、きちんと演奏する顔

の壊れる前のキースや、ことあるごとにミックにちょっかい出されるロニーはよか

ったけど、おまけのインタビューのミックは、驚くほどおじいさんになっていたらし

い。

「玉手箱二箱分は老けていたの。人って、ちょっと目を離したすきに、ヒヤシンス

のように老けていくものなのね」

「そうですね美和ちゃん。みんなヒヤシンスなんです」

 あいづちになってないけど、それから私たちは、ヒヤシンスのように老けること

を受け入れながら飲みつづけた。性悪フェネックが、動物園で売られているTシ

ャツは象の花子ばかりが売れて、自分は絵柄にすらなっていないのがくやしい

から、こんど「フェネック柄のシャツが欲しい」とはがきかメールで投書してくれな

いかと頼まれたが、それを聞いている時間はなかった。

 店を出て、西荻南口の路地を歩く。そばの焼鳥屋から煙が立ちのぼる。満月

っぽい月に、煙がかかる。「はい、ごちそうさんっ」と、焼鳥屋から知らないおっさ

んが出てきた。勘定している連れを待ちながら、コートを着ている。

「なんてことないんだけどさ」 

 美和ちゃんがいう。

「店から出てきて、連れの人を待つだけの人って、幸せに見えてしかたがない

の」

 焼鳥も食べたし、お酒もおいしかったし、話も盛り上がって、相手との距離も少

しだけ縮まった。あとはその相手を待つだけである。

「こんな幸せなことはないと思うの。このささやかな瞬間においてはね」

 まあそういわれれば、そうみえないこともない。

「わかります美和ちゃん。じゃあもう一軒行きますかって、その関係性においてな

んのストレスも発生させなかった、あるいは継続する意思を阻害するにたる要

因は、だれも発生しかなったことになるわけですよね」

 性悪フェネックはTシャツのうらみのかわりなのか、わかりにくいことをわかりに

くくいう。ほっておいたら、美和ちゃんが口をひらいた。

「フェネックはそういうけどさあ、この瞬間だけなの。飲み会がどうだったかまで

は私にはわからないけど、先に出て少し笑顔になってて、相手を待つだけという

瞬間だけが、それは象の花子の誕生日より、ある種の世界平和より、このおじ

さんには幸せなの。たぶん」

「気がついてなくてもですか」

「そうよ」

「そうでしょうか。あのおじさんわかってないとおもうし、これからもぜったいあの

ときが幸せだったとかおもわないです。エサが目の前にないのにバカシマリスは

幸せなんておもわないんです」

「いいの。言葉としてとか、かたちとしてとかに置き換えなくたって、幸せは幸せ

としてあるんだから、それだけでその人に幸せは蓄積していくの。あの笑顔だけ

でいいのよ。言葉にするとか認識するとかは、フェネックや私が思ってるほど重

要ではないの」

「そうでしょうか」

「言葉にするとか名前つけると、むしろそこで思考停止しちゃうでしょ。言葉にな

らないことなんてたくさんあるんだからさ」

「はあ」

 ここはなんとなく性悪フェネック側につきたいけど、黙って歩く。酒はうまかった

し、まあいいとする。言語化されなくても、幸せは幸せか。

 性悪フェネックと美和ちゃんと別れたあとで、家の近くのコンビニに寄る。飲ん

だくせにハートランドビールと炭酸水をもってレジに行く。千円もしない買い物な

のに、千円札がない。レジのショートカットのおねえさんは、一万円お預かりしま

すといって気にする風もない。レジから千円札の束を取り出して、「一千、二千、

三千、四千」と声を出して数える。しかし、わりとせっかちなかけ声にくらべて、札

をめくる手はいたって悠長だった。三千円あたりからだんだんずれて、「九千」と

いい終わったときには、まだ七枚めだった。

 おねえさんがばつ悪そうに笑顔になる。私もなんとなくおかしくて笑った顔にな

る。二十年前なら、これだけで恋に落ちるなきっと。でも言語化も具体化もされ

ずに店を出る。

*  *  *

「君はとにかく目を開けて、バナナフィッシュがいないか見張っていてくれたま

え。今日は絶好のバナナフィッシュ日和だからね」

「一匹もいないよ」とシビルは言った。

「無理ないさ。奴らの習慣はものすごく変わってるからね。ものすごく」。彼はんな

おも浮輪を押した。水は彼の胸にも達していない。

「奴らは実に悲劇的な生涯を送る」と彼は言った。

「知ってるかいシビル、奴らがどういうことするか?」

 シビルは首を横に振った。

「奴らはね、バナナがたくさん入ってる穴のなかに泳いでいくのさ。入ってくとき

はごく普通の見かけの魚なんだ。けどいったん入ると、もう豚みたいにふるま

う。バナナの穴に入って七十八本バナナを食べたバナナフィッシュを僕は知って

るよ」

                   「バナナフィッシュ日和」(J.D.サリンジャー/柴田元幸訳)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いまはなき井の頭沿線の無常小屋と西荻の理不尽

二月○日

 立春の夕方、井の頭線沿いの細道を歩いている。垣根の影が妙に暗かったり

するけど、空はしろくて明るい。線路と交差する道まで来て、陸橋をくぐって公園

のほうに向かう。井の頭公園から駅に向かう親子づれととすれちがう。

「ああ、キツネ、キツネ、ちっちゃいキツネー」]

 隣を歩く性悪フェネックが、五歳ぐらいの子どもにはやしたてられる。これから

ふたりで西荻に飲みいくのに、似たような上背の子どもにおもしろがられてい

る。

 性悪フェネックはじつは子どもが嫌いだったりする。

「ふてくされるんだ、あれぐらいのことで」

「屈託しているといってください。動物園にいるわけじゃないのに。こっちはプラ

イベートなんですから」

 プライベートというのは初めて聞いた。

「じゃあ、紐でもつけてみる?」

「キレますよ、しまいに」

 いやそのほうが見た目には歩きやすいと思うんだけど、といってみるけど、性

悪フェネックの目は三白眼のままである。愛嬌あっての小動物なのに、このフェ

ネックはそこをわかってない。

「キツネの仲間ですけど、あいつらの傘下にいるわけじゃない。ちっちゃいキツ

ネは遺憾です」

 キツネどうしの確執ほど退屈なものはない。あまりかかわらないことにする。

 少し歩くと、井の頭線の線路のそばに出る。

「あ、空き地になってますよ」

 性悪フェネックにいわれなくても見ればわかる。

 掘りおこされた黒土のさら地に、のぼりが四本立てられていた(性悪フェネック

が口に出して数えていた)。白地に赤い文字で「絶賛分譲中」と書かれて一列に

並んでいる。真ん中の二本はすこし右に傾いでいる。

 のぼりの右端の横にはアルミの簡易テーブルがあって、つま先のとがった靴

の縞スーツの若い男が、パイプ椅子に足を組んで座っている。客はだれもいなく

て、その若者はスマホを指でなぞっている。

「なんでおれは日曜日にこんなところにいなきゃならないんだって顔してますね」

 性悪フェネックがいうのだから、そういうことにしておく。

 このさら地には、ほんの少し前まで古い日本家屋があった。黒ずんだ板塀で

かこまれた平屋の小さな家で、何本も植えられたキンモクセイに、ジョロウグモ

の巣が幾重にもかかっていた。

「たしかに最近、おばあさん、見ませんでしたね」

 性悪フェネックがいうように、割烹着の小さなおばあさんが、いつも家の前をほ

うきで掃いていた。腰のまがったままの姿勢で、木の葉をちりとりに入れてい

た。性悪フェネックがいうように、おばあさんは見なくなり、外灯がつかなくなっ

て、しばらくたっていた。

「無常ですよね」

「そんなことおもうんだ」

「小動物は、そんなことおもったらいけないんですか」

「いいけど」

「そこにあった昭和がなくなってしまった無常感がありますよぼくだって」

 飲む前からめんどくさい。

「おばあさんがいないから、木の葉もたまってます。おばあさんがいるころには、

ありえないことです。これも無常」

「大きな無常、小さな無常」

「聞いてますか、話」

「まだ寒いから今晩は大七の燗でいくかな」

「それはそれで、いいですけど」

 酒に魂を売る小動物といおうとしたけど、やめておく。

 西荻窪の酒場には、美和ちゃんが先に来ていた。

「もうだし巻きたまごとお燗を頼んでおいたから」

「さすが美和ちゃんですね。ぼくはあと銀杏かな。あ、あと油揚げ焼き」

 そのふたつと、じゃがいもと豚バラを煮こんだものを私が注文しているあいだ

(注文と勘定はつねに私である)に、性悪フェネックは「昭和の家がなくなって、き

ょうは無常感なんです」と美和ちゃんに自慢している。白髪の小さなおばあさん

がひとりでつつましく暮らしていたんですと適当なことまでつけくわえている。

「平成生まれなのに、昭和がわかるんだ」

 話を聞いた美和ちゃんがいった。そうだった。こいつが昭和生まれなわけがな

かった。

「ていうか、無常がわかるほうがすごいね。あたしだって、よくわかんないのに」

 燗酒を飲みながら、性悪フェネックはうれしそうである。

「あのおばあさん、好きだったのになあ。無常ですね」

「そういえば、あたしもこのまえ昭和に会ったの」

「もう終わりですかぼくの話」

「じゃなくて、つづきで昭和」

 性悪フェネックがしょんぼりと三白眼になる。

 先週、美和ちゃんは、友だちに頼まれて神田の寿司屋に折詰めを買いに行っ

た。そこは有名な老舗で、ガラス戸を開けると、割烹着の女の人が「いらっしゃ

いまし」と迎えてくれた。八畳ぐらいの店内にテーブルが三つあって、客はひとり

もいなかった。すみの机では、小学一年ぐらいのおかっぱの女の子が漢字ドリ

ルのようなものを開いていた。

「厨房は奥で見えなくて、とにかく静かなの。蛍光灯がジーッと音がして、柱時計

がこつこつと鳴っているだけなの。親戚のおばさんの家にいるみたいで、自分の

子ども時代を見てるような俯瞰な感じっていうのかな。そこにいるのに、自分だ

け時空がずれてる感じ」

「バーチャル昭和体験小屋だね」と私がいうと、「ちょっとちがうんだけど、たしか

に昭和だったわ」と美和ちゃんはいった。

「じゃあ、ぼくのも昭和小屋ですかね」

「それはちがう。むしろ無常小屋だな」

「無常小屋ってなんかいいわ」

「でしょ」

 だんだん意味がずれていく。私と美和ちゃんだけ話して、性悪フェネックは三

白眼で飲みつづける。

「あ、この音好き」

 美和ちゃんがいう。店主が銀杏をフライパンで炒りはじめている。転がって、乾

いた小さな音がいくつも重なる。

「銀杏っていうのは、この音から肴としての銀杏が始まってるんだよな」

 隣で性悪フェネックが大七をくいとやって、いう。

「そういうのは小動物のぼくらには、関係のないことなんです。手にしたものし

か、ぼくらにはないんです。大事なのは、手にしているものの、いまだけなんで

す」

「なんか無常を体現してるように気がするわ」

 美和ちゃんにいわれても、性悪フェネックは自分のいっていることをわかってな

い。

「だからぼくらって、年とった象の花子の誕生日なんて、まるで無意味なんです。

年とったことが偉いとかめでたいとか動物には関係ないんです」

 大七を手酌でやっているとおもったら、話まで手酌でもっていく。

「たしかに動物が衰えていくことを祝うって、そんな感覚はありえないかもね。じ

ゃあ未来って感覚もない?」

 美和ちゃんが感心していう。

「全然、ないです。ありえません。みんな動物を擬人化しすぎです」

 自分だって擬人化した小動物のくせに、とはいわないでおく。

「でもそうね。動物園って、理不尽とおもえばかぎりなく理不尽なんだね」

「リフジンってなんですか?」

 こういうところは小動物である。

「飼育係にでも聞くんだな」

「教えてくれたっていいじゃないですか。美和ちゃん、お願いします」

 美和ちゃんも笑って答えない。

「小動物、いじめて楽しいですか」

 性悪フェネックがふたたびふてくされる。だけど、静かでいいからそのままにし

ておく。「無常を教えてくれたら、理不尽を教えてあげる」

 美和ちゃんにいわれて、性悪フェネックはさらに黙ることになる。

    *  *  *

 その夜、遠くで鳴る高射砲や爆弾の音をききながら、吹きさらしのまっ暗な部

屋で、正介はふと妻に話しかけた。

「今度はおれは向うでくたばるかも知れない。そうしたらだネ。この交通地獄の

世の中に、お前はわざわざ満州までやって来ることはないぞ」

「どうしてです」

「おれの死体はおれが始末する。骨はちゃんとおれが小包にして送ってやる」

「まあ、呆れた。いくら私が何だって、その時にはどんな旅費を工面してでも、迎

えに行きますよ」

「いや、よしてくれ。おれは小包で帰る」

                                                            (木山捷平「白兎」)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

軽肥満の黒猫と仏間のアレサ・フランクリンとカフカ夢

一月〇日

 元日、帰省した実家の仏間で目がさめる。まだ眠いけど、カーテンをひき、窓

をあける。ひゅっと寒い。でも天気はいいし、あたらしい年に出会う気分で深呼

吸する。すがすがしさ満杯。

 と、軽肥満の黒猫が、私の目の前をちんたらと通りすぎている。二〇一二年の

最初に出会うのが黒猫ですか。なんか釈然としない。いきなり運なさすぎない

か。初日の出も拝まないうちから初黒猫。たぶん縁起よくないよな。いいわけが

ない。

 これ、何か打つ手はないのか。負の反射神経だけは発達している前頭葉を稼

動させて対策を練る。大晦日、新年になったらブータン人のように万事鷹揚にか

まえ、なにごとも「足るを知る」の精神でやりすごすと決めていたのに、太った黒

猫一匹が現われただけで、もうじたばたしまくっている。

 でも「足るを知る」はあしたからということにして、とりあえず不吉な黒猫に立ち

向かうことにする。

「ええ、では、あけましておめでとうございます」

 猫に向かって頭を下げる。無視するより、関が原の戦いの薩摩藩のように、前

に退却の道を選ぶ。まいったか黒猫。

 しかし黒猫は前を向いたまま、いつものように(たぶんここらの古株)ちんたら

と通りすぎた。忸怩たる、ろくでもない一年になりませんように。

 しかし、願いむなしく夜は夜で、微妙な初夢を見る。

 正月に、おばあちゃんの家に集まった親戚たち(これがみごとに全部知らない

人)とおせちを食べようとしてたら、アレサ・フランクリンに「ちょっとラムネ運ぶの

手伝ってくれる?」と呼ばれた。どう見ても、あのアレサ・フランクリンなんだけ

ど、何十年も親戚のおばさんとして存在しているかのように威風堂々。ほかの

いとこなんて、「アレおばちゃん」とかいっている。名前も合ってるし、アレサ・フラ

ンクリンなんだけどなあ(ただし日本語しゃべってる)と思うけど、そんなこといえ

ない。

「すぐすむからね」

 なぜか私だけ呼びだされ、アレサについていく。

「はい、これ」

 台所までいくと、アレサが干し柿をひとつくれた。粉のふいた小さな干し柿であ

る。

「あなただけにあげるからね。ほかの子にしゃべっちゃだめよ」

「ほんとに?」

「そのかわり、毛糸を手伝うのよ」

 毛糸というのは、セーターをほどいた毛糸を玉に巻きなおす作業のことをいう。

巻くのはアレサで、私はわっか状の毛糸に両手をつっこみ、巻きとられるにまか

せて腕をゆっくりまわす。子どもには退屈きわまりない作業である。できることな

らやりたくない。

「手伝うよね?」

「はあ」

 いやとはいえない。しかもよく考えれば、おせちを食べるはずが、干し柿ひとつ

とすりかわって、退屈な作業をさせられる。割りに合う話ではない。

「じゃあ、こっちに来て」

 呼ばれたのは仏間だった。仏壇の前に座り、黄色の毛糸のわっかをはめた両

手をゆっくりまわす。目の前にはアレサ・フランクリン。なんでこの人が親戚のお

ばさんなのか。おせちはどんな味だったのか。ていうか干し柿すら食べてない。

 微妙に理不尽な夢は、理不尽な夢を呼ぶ。わらしべ貧者夢。次の日はこんな

夢を見た。「この夢、このまま何も起きなくてつまらないから、最後まで見たって

たいしておもしろくないですよ」

 こんどはスメルジャコフ(自称)にそういわれる。設定がいよいよわけわからな

くなっている。

「何それ?」

「夢ですよ、この夢」

「はあ?」

「じきわかりますって」

 夢のなかにいるということを、私はもうひとつ理解できていない。スメルジャコフ

もあまりくわしく説明しない。こいつをあまりかまってもなと、それより喫緊の課題

である「トイレ探し」に精を出す(そこらへんをうろうろするだけなんだけど)。

 スメルジャコフがついてくる。

「だから、何も起きませんって」

 スメルジャコフが、指先に息を吹きかけるようにふっと笑う。

「トイレだって、西荻窪じゅう探したって無理です。きのうで全部なくなっちまった

んですから」

 不穏なことをいう。トイレ、トイレ、トイレ。こんどは北口あたりを走ってみるか。

スメルジャコフもついてくる。

「ないと思いますよ」

 無視して走る。トイレ、トイレ。

 ふっと夢が終わる。たしかにたいしておもしろくもない夢だった。スメルジャコフ

の存在と設定はともかく、いってることは本当だった。起き上がってトイレに行く。

「トイレあってよかったあ」

 現実にほっとするのもどうかと思うけど、この話は性悪フェネックにはいわない

でおく。何をいわれるかわかったものではないもんな。

「最近、夢がカフカっぽいんだ」

「はあ?」

 西荻窪の酒場で性悪フェネックに話したのは、その次の晩の夢である。

「だからカフカ」

「知ってますよそれぐらい」

 私が読んでいないのに、性悪フェネックが読んでいるはずもない。だけど深追

いはしない。性悪フェネックのほうも追ってはこない。ハートランドビールを黙って

飲んで、おしんこを勝手に頼んでいる(最近こいつは、なんか普通に居酒屋にい

る立ち位置みたいなものを把握しつつある。しかも美和ちゃんが来ない日は、テ

ンションが機嫌の悪いおっさんのようになる)。

「つまり、その夢で、おれは瀬戸内海沿岸のぼんやりした高校のバレーボール

部に入るわけ。しかも女子チームなんだけど」

「おっさんとして?」

「夢だからそうなるし、おれも理不尽とおもいながらも、がんばろうとは思う。だけ

ど県大会予選が始まると、いきなり補欠にされて試合には使われずに、しかも

チームは負ける」

「まあ不条理ではありますね」

「それで負けた原因は、おれということになって、監督の小柴っていうあんちゃん

にふられたセッターの友部さんから『あなたがスケットに入ったから負けたのよ』

と、涙ながら非難されて、電気を消された体育館にひとり残される。カフカっぽい

よな」

「ぽいですね」

  *  *

 久女は、真っ白になった白髪頭をきれいに鬢つけでなで付け、四季の変わり

目ごとには、船場風の大げさな更衣をした。月の一日、十五日には、氏神詣りを

して、その帰りには、きまって丸山小間物店に寄ったが、気持ちよく迎えられな

かった。それは、久女が、息子の精一夫婦に向かってでも、まるで、もう、何十

年も前から船場に生まれ、育ってきたもの云いや、態度をするからだった。その

上、帰り際になると、必ず、精一の嫁に佐野屋橋の橋際まで送らせ、「ほんな

ら、わては川を渡って、船場へ帰りまっさ」と、思い入れたっぷりで、ちゃら、ちゃ

ら、橋を渡っていくからだった。そんな久女であったから、隣近所の人から〝船

場狂い〟と呼ばれているのを知らなかった。

                                  (山崎豊子「船場狂い」)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

愕然の特異日と中央線の空間と月食スリの歳末助け合い運動

十二月○日(土)

 年末の寒空のもと、井の頭公園から玉川上水にかけて走る。前日の深酒で調

子は悪いのに、走りは悪くない。さくさく進む。年に何回か、そういう日がある。深

酒による即席ランニングハイである(根拠はないけど) 。熟練のまたぎか、合宿

中のクロスカントリー選手みたいに、落ち葉を踏みしめて、軽快に足を運ぶ。タン

ッとか、スタッという感じ(見た目はともかく、イメージとして)。 

 つまり、いい気になって走っていた。すると、背後からタッタッタッタッと足音が

聞こえた。いつもなら、これらほとんどの足音は私を抜いていく。タッタッタッタッ。

きょうはちがう。足音は背後にとどまっていた。きょうはなにかの特異日なのか。

タッタッタッタッ。つかず離れず足音がまとわりつく。

 私のランニングハイ力も、捨てたものではない。ひざは痛いけど、やればできる

じゃないか。意味ちがうのに、したり顔で振りむいてみる。で、愕然とする。 足音

の主は、競歩中のおねえさんだった。タッタッタッタッと歩いている。まったく軽快

っぽい歩みである。抜かれて茫然とするのがよかったのか、振りむいて愕然と

するのがよかったのか、どちらもだめなような気がするが、これが、愕然とする

特異日の始まりだった。

 軽い失意のまま、井の頭公園から家に戻る。近所の五歳と三歳の男の子が、

池のそばでシャボン玉を吹いていた。そばを通ると、長男が私を見つけて「こん

ばんは~」といった。土曜日の朝に「こんばんは」もないものだが、朝っぱらから

子どもに説教してもしかたがない。「こんばんは~」とこたえる。弟もストローから

口を離して「こんばんはっ」と元気にいう。おまえら兄弟だいじょうぶか。ともいえ

ないから「こんばんはっ」とこたえる。これもコミュニケーションのひとつである。

あいさつしただけでもいい。 軽い失意から軽い達成感につつまれて通りすぎ

る。

「朝なのに、二階のおじちゃん、こんばんは~だってえ、ひゃっひゃっひゃあ」

 幼い兄弟が笑いころげていた。本人たちは自分で「こんばんは」といったつもり

はみじんもなく、間抜けな挨拶をする私がおかしくてしかたがない。ここでも愕然

とする。やっぱ特異日。

「ええ、なんなんすかそれ。そんな人、武蔵野市に二人ぐらいしかいませんよ。絶

滅危惧種のケープペンギン並みですよ。いやニホンカワウソ以下だな」

 ひまだから井の頭公園の動物園に来てやったのに、性悪フェネックは、私が

「かな入力」であることに愕然としていた。愕然とされる筋合いのないことに愕然

とされることに、愕然とする(やっぱ特異日)。アラスカに現存する約二千人しか

残ってないインデアンの種族か、かな入力は。

 性悪フェネックから「バカシマリスが動物園事務所にもぐりこんで勝手にパソコ

ンを打ってつくっている『井の頭さわやか小動物通信』っていう不定期刊の新聞

のデータが事務員にみつかって、園内で犯人探しが始まってこまってるんです」

と聞いたから、「シマリスは、たぶんおれと同じかな入力だな」とつい話しただけ

なのに、絵に描いたように愕然とされてもこまる。

 しかし、私がこまれば当然、その晩の西荻窪の酒場でもその話は展開される

ことになる。性悪フェネックは、おおはしゃぎである。

「最近聞かなくなった言葉のひとつだよね。親指シフトの次に聞かないかな」

 美和ちゃんにバカにされる。

「絶滅寸前なのに、つまり、コヨーテが近づいているのに、逃げないで背筋を伸

ばしてるプレーリードッグみたいね」

「何それ?」

「絶滅危惧種なのに、そのことをわかってないから、状態として物理的に前向き

ってこと」

「はははははははは」と性悪フェネックが笑う。キツネのくせに人間みたいな笑

い声をだす。

 はははじゃねえだろ。絶滅するつもりもないし、愕然とする気もない。 

「でもさあ、私、たまにはプレイリードッグと飲みたいな」

「でも美和ちゃん、プレイリードッグはいませんよ動物園には。来る予定もないっ

て飼育主任のオカジマも話してました」

 性悪フェネックがくやしまぎれに適当なことをいっているのは、私も美和ちゃん

もわかっていた。

「性悪フェネックにはない、こうなんというか叙情みたいなものがあるよね。プレイ

リードッグには」

「なんなんですか叙情って?」

「いやキツネにはわからないことだから」

「私にも叙情はよくわからないけど、姿勢よくビール飲むプレイリードックを眺めな

がら飲んでみたいな」

 性悪フェネックも私もすっと背筋がのびる。

「美和ちゃん、ぼくだって姿勢はいいんです。あ、ヒト科のおっさんはしなくていい

です」

 美和ちゃんは笑いながら「そういうのいらないから」といって、日高見を頼ん

だ。私は銀杏と大七の燗を追加して、性悪フェネックは白菜ロールを頼んだ。厨

房で店主が銀杏をフライパンで炒りはじめる。それだけで冬の酒場はなんかい

い。

「きのうね」と美和ちゃんが話しはじめた。

「燗酒もらっていい?」と美和ちゃんは自分で猪口についだ。

「美和ちゃん、手がきれい」

 性悪フェネックがぼうっとしていう。

「それより、美和ちゃんの話だろ」

「きのうね、空間が自分の中に入りこむって感じになったことがあってさ」

「はいはいはいはい」

 性悪フェネックはおおいにうなずくが、こいつぜったいわかってない。私も意味

がよくわからない。

 きのう、美和ちゃんは中央線の東京行き快速電車に乗っていた。電車がJR御

茶ノ水駅の手前まで来ると、総武線の津田沼行き電車が横にすうっと寄りそうよ

うに近づいてきた。たまに起きるただの併走なのだが、駅の手前なので速度が

近く、感覚としての時間がゆっくり進む感じがする。電車のタイミングによって

は、総武線が高台からするすると降りてくるような感覚にもなる。

「そのときに総武線の車内が見えたの。昼前だったからあまり混んでなくて、そ

の電車の中の人って、もしかしたらこっちの車両の人がそのままそこにいるの

かもってリアルな感じで思っちゃったの。シンメトリーになったみたいにね。ラカン

の鏡像段階みたいなってことかな」

 意味がわからないので、大七を飲む。銀杏をかじる。こうしていれば、それなり

には楽しい。

「するとね、次の窓のところに四、五歳ぐらいの白人の子どもがいて、私を指さし

たのね。たぶん私が電車の入り口のそばに立って外を眺めていたからだと思う

けど、そのあと私はどうしたと思う?」

 え、質問ですか。銀杏食べたとかいうと嫌われそうだしな。わかりません。

「あ、わかった。美和ちゃんは窓にリップクリームで『ばか』って描いた」

 性悪フェネックの考えそうなことである。

「ちがいます。子どもと同じように指をさしたの」

 その理由を、美和ちゃんは「バランスをとらなきゃ」と思ったからだという。

「向こうの車両は、こっちの車内の空間と同じものだから、同じことしなきゃと思

ったの。足組んで座ってる人や、立ってケータイいじってる人まで、そのまま向こ

うにいるような感じなのね。つまり、電車の私のいる空間を自分のなかに閉じこ

めて整えなきゃって感覚が数秒あったのね。不思議だったわ。なんかわかりにく

いかな」

「ぜんぜんわかります、わかります」

 反応は性悪フェネックに代表させて、私は保留しておく。 

 その後も美和ちゃんは空間の感じを燗酒を飲みながら話してくれたが、ひとり

と一匹に、それ以上の理解は深まらなかった。

 かといって美和ちゃんは機嫌を損ねることもなく、いつもの「あしたの私を好き

になる西荻窪支部」のチラシを出してきた。「今週のチラシ」といって私の前に置

いた。

 チラシには次のようにあった。

 はい、注目~。「あしたの私を好きになる西荻窪支部」の今週のテーマは「後

送」です。この「後送」、たとえば出版業界では、入稿するとき、ろくな見出しがつ

けられない、きらっと光るキャプションが書けない、そもそも原稿が間に合わない

なんてときに使う言葉です。原稿に、赤字でしれっと「後送」と書きます。

 その「後送」を私たち西荻窪支部では次のように使います。

 たとえば、ふたご座流星群の夜、降るように流れる星に「生活力のある向井理

みたいな彼氏がほしい!」と三回お願いしようとします。だけど、一回でもきびし

いのに、三回もお願いを唱えるなんて、無理な話です。そんなの、もちろんだれ

だって知ってます。だから、本気で流れ星にお願いする人って、案外と少ないの

です。

 でも、西荻窪支部は、これしきのことではあきらめません。無理なら無理の願

い方もあるのです。流れ星が出そうな空をにらみつけて、星が流れたらすかさず

「願い、後送!」と叫びましょう。で、あとからゆっくりと彼氏の年収、容姿、性格

などを盛りこんでお願いすればいいのです。

 もちろん、恋も仕事もおんなじです。まにあわなきゃ後送すればいいんです。恋

も仕事もワインだと思って寝かせておけば、きっとなんとかなります。

「これ、ちょっといいでしょ」

「このおっちゃんなんて、人生、後送だらけです」

 性悪フェネックが、美和ちゃんを喜ばせたいためだけに適当なことをいう。

 美和ちゃんは笑いながらチラシをしまうと、「そうだ、今晩、皆既月食って知って

た?」といった。私たちはもちろん知らなかった。

「井の頭公園に見に行かない?」

「行きます、行きます」

「飼育係とかも見に来てるかもしれないぜ」

「まったく問題ないです。夜はだいじょうぶです。あいつら鳥目ですから」

 残りのだし巻き玉子や銀杏や漬物をたいらげて、大七もぐびっと飲んで店を出

たのは、午後十時を過ぎていた。外に出ると、寒い。はあと息を吐いてみる。白

い。オリオン座に焼き鳥屋の煙がかかる。

「年末っぽいわね」

 美和ちゃんにそういわれただけで、あたりは年末一色になる。

「こんな感じですよね、年末って」

 性悪フェネックのお追従のひとことで、あたりはいつもの冬の夜に戻る。

 私たちは西荻窪駅から総武線に乗り(隣を快速を過ぎたときに空間の話をした

り)、吉祥寺駅で降りて、丸井の横を通って、いせやの前を過ぎて、井の頭公園

に入った。公園の真ん中の七井橋に行く。

「すごいですねえ、夜なのに橋が人でいっぱいですね」

 性悪フェネックが見たとおりのことをいう。

「でも、すごくない? みんながみんな月を見てるよ」

「でもこの月って、赤黒い血にまみれた感じですね」

 性悪フェネックの感想はともかく、夜の公園はこれまでにないぐらい人があふ

れていた。しかもあまりしゃべらずに月を見上げている。

「これって『未知との遭遇』か何かにあったシーンみたいだよね」

「ああ、あった、あった。こんな感じ。リアル『未知との遭遇』だわ」

「でも、あれですね」

 性悪フェネックが人をながめていう。

「たぶん、血のついた月を見ている人たち、これスリの名人とかいたら、スリし放

題ですよ。スリ業界の歳末助け合い運動と呼ばれちゃいますよ、ふふふふ」

 私も美和ちゃんも聞こえないふりをして、月を眺めた。

   *   *   *

「雨が降っていた。巨大なシダが頭上に垂れていた。森が漂うように丘を下って

いた。急流が岩のあいだを流れ落ちるのが俺には聞こえた。なのにあんたら

は、あんたら馬鹿らしい人間どもは、俺に助けてもらえると思ってるんだ。」

(「ヒッチハイク中の事故」/『ジーザス・サン』デニス・ジョンソン著/柴田元幸

訳)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四十代パシリと阿佐ヶ谷ドッペルゲンガー駅と出席番号心理学

十一月○日

 このところ、ひざや肩や眼や脳が劣化してきた。四十代後半ともなればしかた

ないが、さらにキャラまで劣化している。

 たとえば、会社でのあつかわれ方などにそれは著しい。きのうなんか、年下の

女性編集者にあくまでもなにげなく聞かれた。

「あコムラさん、あのデザイン事務所行くんでしょ」

 たしかに、初校ゲラを渡しに行く。

「じゃあ、私のカバーの色校、ついでに持ってってくれるとうれしいんですけど」

 ついでに持っていけなのか、ついでにうれしいからなのかわかりにくいが、圧

倒的な力でこちらの返事を固定させるいいかたである。しかも無意識風。

「いいよ」(これしかいえない)

「ほんとですかあ? ラッキー」

 あれだけ圧力かけておきながら、ラッキーと外来語で、しかもためぐちである。

何がきっかけなのかわからないが、最近、このようにして、私はいとも簡単にパ

シリにされる。

「じゃあ、通り道なんで、ついでに三省堂の四階でとりおきの本も取ってきてくれ

たりします?」

「二階までならいいけど、ついでに三階より上はプリン体が増えるから、医者に

止められている」ぐらいのことはいいたいけど「それ、いりませんから」といわれ

ることはわかっている。

「いいよ。タイトルは?」

 なんだか自分が天性のパシリのような気までしてくる。最悪すぎる。

 このまえも、西荻窪でハコさんと飲んでいて「カネおろすの忘れた。三千円借り

で頼むわ。ついでに、今度会うときまでおぼえといてくれ」といわれた。生まれつ

いてのパシリでなければここまでいわれない。

「そういうの、脳内パシリっていうんです」

「いらないよ、そういうの」

 性悪フェネックによる不本意な命名は無視すればいい。天性のパシリの才もな

いことにすればいい。しかし、脳が私の意に反して無視する「物忘れ」はいかん

ともしがたい。

 たとえば、先日も、カップヌードルに湯を入れるときにランニングウォッチを出し

たら(こういうのはきちんと計らないと気がすまない)、「三十二時間二十八分十

五秒三五」を通過してまだ動いていた。おととい走り終わったとき、ストップウォッ

チを消し忘れていたのである。ここで第一の物忘れ。

 その後、私はその時計を手にとり、「走り終わって三十二時間二十八分たって

しまったのかあ」としみじみしていた。物忘れをなげくことまで忘れている。第二

の物忘れ。ただいま物忘れ「中の上」ぐらい。

「あの、話が無意味すぎて、しみじみします。このまえの駅の話も負けてないけ

ど」

 西荻窪の酒場で、今夜も性悪フェネックがよけいなことをいう。

 駅の話というのは、こうである。おととい、中央線快速東京行きの電車に乗っ

ていた。いつものように立ち読みしていた。その日の本は、山口瞳の『江分利満

氏の優雅なサヨナラ』だった。これは「三十一年間、一六一四回連載された「男

性自身」最終巻」(新潮文庫カバーより)である。コラムのなかで、山口氏の病気

がいつ判明するのか、どきどきしながら読んでいた。つまり集中していた。

 ふと気づくと、電車が阿佐ヶ谷駅に着いた。ここで、「あれ? さっき阿佐ヶ谷

駅に、止まらなかったかな」と思う。読書で時間の感覚があいまいになると、い

つも阿佐ヶ谷駅に二回止まったように感じてしまう。

「これって、阿佐ヶ谷ドッペルゲンガー駅とかだと思うんだよな」

 この一介の性悪フェネックは、もともと実在するのかどうかあいまいだから、こ

の手のことにもくわしい。

「はあ? それ、阿佐ヶ谷蜃気楼駅ですよ。本に熱中すると、逃げ水のようにあ

らわれるんです。ドッペルゲンガーなわけがない」

 聞くんじゃなかったと後悔するが、もうおそい。

「じゃあ本がおもしろくなかったときに出てくる駅は?」

「なにも知らないんですね。何年、中央線に乗ってるんですか。それは、東荻窪

ブックオフ駅です」

「あんまりおもしろくない」

「いいですよ、べつに。おもしろがらせるために話したわけじゃないから」

 性悪フェネックがすこしへこんだ。ハートランドビールがうまい。

「いくらなんでもブックオフは安易だろ」

「いいです。もう飲みます。日高見二合ください」

 性悪フェネックが勝手に日本酒に移る。私のおごりという空気をまったくまとっ

てないところが癪だが、へこんでいる証拠である。

「今晩は、なんかおとなしいじゃないの」

「そんなことないですよ」

「ブックオフ駅、つまんなかったもんな」

「だから本当にあるんですって」

 いじるだけで楽しい。

「何かこう、ほかに酒場が盛り上がる話とかないの?」

「フェネックには、そういう品のない調教はされてないですから」

 ああいえば、こういう。もとから調教されてないくせに。

 しかたがないから、しばらく性悪フェネックと並んで、地味に飲んでいた。隣の

人は、その隣の人に、関が原の戦いで薩摩は前に退却したから、おまえも退却

するときは前進するようにと説教していた。われわれはそれとはまるで関係な

く、銀杏かじったり、秋刀魚をつまんだりした。それはそれで、冬の夜をすごすひ

とつの時間としてはたのしい。

「あのさ」

「調教のことですか?」

「ちがうよ。このまえ美和ちゃんが話してた『あしたの私を好きになる西荻窪支

部』のチラシがあっただろ?」

「そうでしたっけ?」

「あれって、たまに、うちのポストにも入ってることがあってさ」

「フェネックの巣には入りません」

「そういうのいいから。それで、そのチラシの先週のテーマが出席番号だったん

だよ」

「なんすか、出席番号って?」

「だよな、穴ぐら生まれのフェネックに出席番号あるわけないもんな」

「そういうのいいですから、説明してください」

 チラシは次のようなものだった。

 はい、注目~。「あしたの私を好きになる西荻窪支部」の今週のテーマは出席

番号です。男女ともに五十音別に番号がつきますね。アベさんなら一番か二

番、ワタナベさんなら二十二番ぐらいの最終番。クラスがかわれば多少は変動

しますが、小学生から高校生、へたすると大学生までつきまとう番号です。出席

番号が連番だったから、それが座席順になって、仲のいい友だちになることもよ

くあります。

 そう、みなさん案外見すごしてますが、出席番号は人生をひょいと左右したり

するのです。その人の性格をつくるといっても過言ではありません。だから、みな

さん、恋人をつくるときは出席番号が一番の人にしましょう。まあ譲って三番まで

にしてください。

 出席番号一番の人というのは、インフルエンザはいつも最初、出欠も、先生か

らの質問も、なんの情報もないところから、正面から受けて立たなければなりま

せん。つまり、どうあがいてみてもいっしょなんだという諦観を、子どものころから

身につけるのです。なにごとも引きずらないし、あきらめもはやい。子ども時代か

ら、人知れず、そういう一種のしつけを受けるわけです。

 だから、出席番号一番の人は、何を頼んでもまずは受け入れてくれるし、みな

さんが別れたいといえば、ぐずぐずすることなく、すぐに別れてくれます。長年の

出席番号修行で、あっさりした性格がつくられているのです。ヤ行やワ行の人で

は、こうはいきません。何か手があるんじゃないかとか、ねばりにねばります。そ

んなの最悪です。みなさんには、つごうも性格もいい出席番号一番の人にねら

いをつけてほしいのです。

「だからさ」

「はい」

「思うんだけど、これって女の人だけなのか?」

「何がです」

「この西荻窪支部に入れる人」

「入りたいんですか? ていうか出席番号のことはどうでもいいんですか?」

「いいじゃんべつに」

「だいじょうぶですか?」

「なにが?」

「前頭葉」

 不本意ながら、私はこの「あしたの私を好きになる西荻窪支部」に興味が出て

きている。いちど、見学してみたいと思いはじめている。そのためには性悪フェ

ネックを道連れにするしかない。出席番号のことはそのあと考えればいい。

「こんど行ってみない?」

「はあ?」

「見学だけだよ」

「ひとりで行けばいいでしょう」

「来年も飲み放題にしてやるからさ。ハートランドだけ」

「もうひと声」

「銀杏つき」

 性悪フェネックが軟化した。こいつは銀杏に目がない。

「夏は?」

「だし巻き玉子半分」

「なんかいちいちせこいですね」

「じゅうぶんだろ。見学だけでこんなサービス。ラーメン二郎だったら、ましましだ

よ」

 じゃあ〆張鶴雪で乾杯ということになり、銀杏を頼んで飲みなおす。

「このまえ、井の頭公園の動物園のそばの雑木林で見た親子なんですけど」

 性悪フェネックがいう。井の頭公園の西のはしっこのセミ事務所に「セミのシー

ズンが終わったから、リスとフェネックに居抜きで事務所を貸してくれませんか」

と交渉に行ったときのことだった(「オフシーズンだって、セミ支援に関する業務

は山積みだから無理」と瞬時に断わられる)。

 近くの雑木林が少しひらけたところで、外国人の父親と子どもが、サッカーボ

ールを蹴っていた。子どもは小学三年生ぐらいで、ボールをうまく足でまとめられ

ない。そのせいか、覇気がなかった。

「ケン、ほら、パシュしなきゃ」「うしゅろ向いちゃだめよっ」。この父親は、息子の

ケンにやる気がないとみると、すぐに叱責する。しかも、興奮しているせいか、

言葉が幼児語のようになる。ネイティブじゃないから無理もないが、日本で育っ

ている息子はたぶん、その幼児語がはずかしくてしかたがない。母親はおそらく

日本人である。

「わっかんないよその言葉っ」

 子どもは、叱責より、父親の幼児語のような日本語のはずかしさから、ふてくさ

れる。しかし、父親にその微妙なところはわからない。さらに幼児語を頻発する

ことになる。

「ちゃんとうぎょいて、ほらっ。ケン、なんしゅあああ」

 子どもが抵抗するたびに、父親の言葉はさらに不明解になっていく。

「もうやだよお、こんなの」としまいには子どもは泣き声になる。

 そういう話だった。

「ね、せつない話でしょ?」

「思春期までつづくなこれは」

「こういうのをしみじみする話というんです」

 性悪フェネックの心ないひとことに、酒場は紛糾することになるが、飲むにはう

ってつけの寒さだったし、日高見も鯖の一夜干しもおいしかった。これということ

もないけど、しっぽりした冬の夜だった。こんな夜もたまにはある。

 これを存ずるは恥づべく、これを捨つるは惜しむべし(鶏肋) 

                                    (「鶏肋集」井伏鱒二)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

玉川上水の太宰治の呪いと中の下と木枯らし休刊号

十一月○日(土)

 このところ、たいした悩みも不満も屈託もないのに深酒が続いている。何かか

ら逃れるように杯を重ねるのはじつはたのしいが、とくに理由もなくつきあいで

不覚に飲みすぎるのは不毛である。もう飲まんことにする。あと一杯で。

 反省の意味も含めて、土曜日の朝、玉川上水沿いを走る。というかいつも反

省しながら走っている。というか走ることじたいが、日ごろの反省の体現である。

自分へのごほうびならぬ、じぶんへのおわび行脚ということになる。すれちがい

ざまに脱糞する黒いわたぼこりみたいな犬の態度も、これからは受け入れるこ

とにする。

 ナザレ修女会の裏庭を過ぎて、ひなたに出てくる。天気はいいけど、きょうは

涼しい。工事中の新橋の脇を、警備員のおっさんに中途半端に誘導されて渡

る。ここは、太宰治が引き揚げられた場所である。たぶんその当時架かってい

た橋がなくなる。新橋のそばにあった平屋の日本家屋もこのあいだなくなってし

まった。このままでは、当時の感じが何もなくなってしまう。石碑とか建つわけも

ないし。

 で、ここで私の無意味な深酒の理由がわかる。この深酒、太宰治の呪いであ

る。たとえばここに太宰治がくすぶっているとして、日に日に家屋や橋など当時

の雰囲気がかき消され、おまけに私を筆頭に無神経なランナーがこのあたりを

どたどたと踏みあらす。いやべつに顕彰しろとは口がさけてもいわないが、粛々

としてもいいのではないかぐらいのことを太宰はおもってそうである。根拠ないけ

ど。でも、軽度の呪いぐらいかけてやれとかおもうかもしれない。「井伏さんは悪

人です」と遺書に書くぐらいだから、やっても不思議ではない。しゅっとしたところ

もあるんだけどな。

「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では失敬。」

                                      (「津軽」太宰治)

 でもまあこの深酒も太宰の呪い酒とおもえば、酔っぱらっても自責の念は薄

い。こうなったら飲んでやる。と意味なくきっぱりして、走る。なんの根拠もないの

に足腰は軽くなり、快適に玉川上水を走りぬける。

 玉川上水から戻って、ジブリ美術館横のトラックに入る。いつもの中学と高校

の陸上部が練習している。彼らはいつもの「元気出していきまっしょ」「はいっ」

「声出していきまっしょ」「はいっ」という声をだしてランニングしている。私もこの

かけ声に参加したくてしかたがないが、監督のおにいさんとかいるのでやめて

おく。

 ランニングのグループと離れたところに、おなじジャージを着ている女の子が

いる。いつもストップウォッチで、部員が四百メートル走やそれ以上の長距離を

走るときのラップタイムを読みあげている。

「五十八っ、五十九っ、二分っ、一、二、三っ」

 マネジャーかと思っていると、たまにひとりで走ったりもしている。どこかケガで

もしているのかもしれない。きのう家に入っていた「あしたの私を好きになる西荻

窪支部」の勧誘チラシを見せてあげたいけど、キモがられるのがオチなのでや

めておく。ちなみに、こんなチラシである。

 はい、注目~。「あしたの私を好きになる西荻窪支部」の今週のテーマは「脇

役」です。みなさん、日ごろ、自分を主人公だと思って生きすぎです。いつだって

自分を主人公だと勘違いするから、いろんなことにいちいち向き合ってなんとか

しようとする。そりゃ、恋にも仕事にも悩みます。そんなときは、脇役になりましょ

う。ていうか、だいたい脇役なんです私たちは。

 脇役になると、キャラ設定も主人公よりはるかに雑だから、悩みもそれほど複

雑化しないし、第一、深まりません。主人公になって、悩みにはまってよどむぐら

いなら、雑な脇キャラでひょいと渡りましょう。「中の下ですからっ」とうそぶいて、

しれっと笑ってましょう。脇役には何ひとついいことがなくても、何ひとつ悪いこと

も起きません。それでじゅうぶんなのです。脇からすいすいです。

 ランニングから戻って、シャワーを浴びてハートランドビールを飲んで、ひとごこ

ちつく。なんか毎週、こればっか。ランニングとビールと、あと読書。だいたいこ

れしかすることがない。ノーライフ、ノーミュージックとかでは全然ないし。ではむ

なしいかと問われても、そうでもない。これはこれで悪くない。私より趣味のない

ハコさん(学校の先輩)みたいな人もいるし、底打ち感もない。で、「あ、そうか」

と、関係のないことが結びつく。この「あしたの私を好きになる西荻窪支部」の勧

誘チラシを、ハコさんの店に持っていこう。それがいい。この人ほど自分を主人

公と勘違いしているおっさんもいない。

 で、夕方に高円寺のハコさんの店に行く。あいかわらず人は入ってない。

「いつものようにヒマだよね」

「このまま、ただ店を開けているだけでは、だれも来ないと思うんだよな」

 小学生のような感想をハコさんはいう。

「たとえばさ、ツイッターで、枯れる寸前の四国かどこかのダムの水位報告みた

いに、客数を毎日淡々と発表するとかすると、あんがい受けるかもよ」

「十月二十五日・四メートル、十月二十六日・二メートル・十月二十七日・三メー

トルとかになるけど、おもしろいか」

 おもしろくない。

「年内までここで店やって、駅前で物件探すかな」

 こりないおっさんである。ていうか、よく資金がつづくものである。

「そりゃ、そこらへんはちょいちょいとな」

 ここだけ関西弁になる。東北出身のくせに。

 煮詰まっててもしかたがないので、ハートランドビールを頼む。

「きょう、木枯らし一号が吹いただろ?」

 新聞やニュースの話題を出すところだけ、店主然としている。

「見たよ。あれ、東京と大阪しか発表しないらしいね」

 めんどくさいけど、反応しておく。 

「それはどうでもいいんだけどな、じゃあ、前の晩に西荻で飲んで帰るときに吹

いてたのは、あれ木枯らし準備号だよな」

 性悪フェネックなら、へえとかいいそうだけど、私はハートランドビールを飲ん

で無視する。それ以上の反応を思いつかない。

「ということはさ、あした吹くのが木枯らし二号で、あさってが三号だろ。じゃあ年

度末の三月末日に吹くのは木枯らし休刊号ってことになるよな」

 なにがいいたいのかこのおっさんはと思うけど、先輩の話は聞くしかない。

「だから、四月一日に吹いてしまった風は、木枯らし臨時増刊号とかになるよ

な?」

 店主なのに日本酒とか飲んでるし、ただの酔っぱらいである。

「あのさあ、このまえ中野駅にいたときなんだけどさ、ホームにいたんだよ」

 反応がにぶいのをみてとったのか、話をかえてきた。でも、話が長いので簡略

化する。

 ハコさんは三鷹行きの総武線のホームにいた。ホームの黄色のラインを大ま

たで歩くチェックのシャツの青年がこっちに向かってくる。

「みなさん、みなさあん、おつかれさまでした。つかれてくださあい。みなさん、み

なさあん、おつかれさまでした。つかれてくださあい」

 ハコさんはいう。

「すごくないか?」

「なにが?」

「疲れてくれっていう言葉だよ。そんなの最初で最後だろ、疲れてくれって頼まれ

るなんてよ」

「最初かもしれないけれど、最後かどうかは、いまハコさんがここで死んでくれた

らそうなるけど、そのいいかたは安易だよね」

「いうね。死ぬのかオレはここで」

「最初で最後なら死ぬしかないっしょ。だって、疲れてくれって頼まれたって心ふ

るわせて繊細なオレとかいいたいなら、死んでくれたほうがおさまりはつくよ」

「おさまっても、死んでるんだろオレ、それさえ認識できなゃ、それもどうかとおも

うけどな」

「じゃあ、いいです」

「よかないだろ」

 もめる寸前で、美和ちゃんと性悪フェネックが来た。

「こんばんわ」

「いらっしゃい。美和ちゃん、おっさんどうしが飲むとどうしても煮詰まるしかなく

て、たいへんだよ」とハコさんは満面の笑顔でいう。さっきまで、どす黒い顔して

ビール飲んでたくせに。

「お、キツネも来たのか」

「フェネックです」

 ふたりはハートランドビールと野菜サラダとケイジャンチキンを注文した。

 はい、乾杯とかやってると、偶然にも美和ちゃんも「あしたの私を好きになる西

荻窪支部」のチラシを持ってきた。

「これ、おもしろいんだよね」とハコさんがいう。

「さっき、くだらないっていってたくせに」

「なんのことかな?」

 あまり相手になっても大人気ない。年下だけど。

「これなんだけど」と美和ちゃんがサラダをさけて、テーブルの上に置いた。

「ちょっといいでしょ」

 いつものチラシだけど、これは読んだことなかった。

 はい、注目~。「あしたの私を好きになる西荻窪支部」の今週のテーマは、恋

愛成就です。「片思いが最高の恋愛のかたち」だとかいう人もいますが、そんな

ことありません。成就してこその恋愛です。好きな人の心を奪うのです。そのた

めには「アンアン」の恋愛特集をへらへらしながら読んでる場合ではありませ

ん。

 片思い中の彼が、あなたのことを好きになるための鉄板の方法、それは「あな

たが彼の夢の中に出る」ことです。ただし、夢の中で、肉じゃがつくるとか、あま

り得意じゃないジブリ映画をいっしょに見に行って「楽しかったあ」とかいったりし

なくてもいいんです。すっと夢に出て、彼に、ふっとほほえむ。それだけでいいん

です。

 彼は確実にあなたのことが気になりはじめます。そうなればしめたもの。恋の

アドバンテージはあなたにあります。さあ、恋のはじまりです。はい? 彼の夢に

出る方法ですか? それは『アンアン』でも読んで調べてください。

 その日はけっきょく、彼の夢に出るにはどうしたらいいかを考えることで四人と

も終始した。茄子を生で食べる、息を吸いながらしゃべる、寝る前に七十七回ウ

インクするとか、ろくな案しか出なかったが、意外ともりあがってしまった。不本

意である。このままでは本当に「あしたの私を好きになる西荻窪支部」に入りか

ねない。

 ハコさんなんて、「〆張鶴雪うめえ、ついでに見学に行ってみるか」とかいって

たし、性悪フェネックも「いいですねえ。行きましょう、美和ちゃんもどうですか?」

と追従していた。この人と性悪フェネックとは、もう口をきかないほうがいいかも

しれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

井の頭公園の最後のツクツクボウシと巣から落ちた雛と蛸のぶつ切り

十月○日(土)

 いつものことだけど、井の頭公園のジブリ美術館横のトラックを走る。きのう一

匹か二匹鳴いていたツクツクボウシが聞こえない。ジョブズ死去のニュースに隠

れて、同業のセミ以外にはだれにも気づかれないけれど、あのツクツクボウシは

井の頭公園の今年最後のセミだった(メスは鳴かないからまだいるかもしれない

けど)。走りながら、中学生に抜かれながら、汗びっしょりになりながら、二秒ぐら

い黙祷する。

「ねえママ」とウォーキング中の小学二、三年生の男の子が隣の母親に聞いて

いる。

「倒れた木のそばの土の中にいるセミの幼虫は、来年どうするのかな?」

「そうねえ」

 母親は笑って答えない。

 このまえの台風で、井の頭公園のけっこう大きな木が十数本倒れた。子どもは

そのことを気にしている。

「セミになれないまま死んじゃうのかな?」

「そんなわけないじゃない。適当に隣の木に登るわよ」

「そうかなあ。幼虫にそんなことできるかなあ。ぼく手伝ってもいいけどな」

 泣けることをいう子どもである。母親はぴんと来てない様子だったけど、おいち

ゃんも手伝うよと自称テレパシーで伝える。

 走りながら、最後のツクツクボウシの最期について考える。「そんなのカラスが

つついて、残りをアリが持っていきますよ」と性悪フェネックならいうんだろうな。

でも、この夏最後のセミなんだから、剥製をセミ事務所で飾るぐらいしてもいい。

 この思いつきに気をよくして、ランニングの帰りに、井の頭公園の西のはしっこ

にあるセミ事務所に行ってみた。

 応対に出てきた事務局長(たぶん自称)は「そんなことしたら、今年最後のアブ

ラゼミもヒグラシも最近鳴き始めたクマゼミもしなければなりません。しかもそこ

の動物園から、『セミの分際でそんなことしたら、動物もしなければならんでしょう

が』と苦情が来るに決まってるんですから。そりゃ無理な話です」とにべもない。

「じゃあ、倒れた大木の下の土の中にいる幼虫が来年出てきたときに近所の木

に登る手伝いキャンペーンとかしませんか?」

「あのね、ランニングさん。土の中から出てきた幼虫が木にたどりつけるかどう

かはすべて自力なんです。本能ですからね。だから、木がなければそこでことき

れるかもしれませんが、それはそれです。寿命なのです。そんなのをこっちが助

けて木をあてがっても、こんどはその木の下のセミにやられます。野鳥の会の巣

から落ちた小鳥を戻してはいけないのと同じ理屈で、却下です」

 この人はいちいちにべものない。初対面の提案者に却下もないが、話は進み

そうにもないので、あきらめてひきさがる。

 夕方、西荻窪の酒場でこの話を美和ちゃんにすると、美和ちゃんは笑った。

「その鳥の話はちょっと違うと思う。巣から落ちた雛をかわいそうだからと拾った

りしないでっていう野鳥の会のキャンペーンは、雛をそのままもち帰ったりしない

でという意味で雛を拾わないでっていうものだったような気がするけどな」

 ここで性悪フェネックが飲んでいたハートランドビールをあわてて置く。

「美和ちゃんのも正しいけど、たぶん人間のにおいがついた雛を巣に戻したりす

ると、親が育てなくなるとかもあるんですよ」

「へえ、そうなんだ。でも、そうかもね」

 美和ちゃんが感心する。

「はい、ぼくぐらいになると、こういう人間のにおいだらけのところでもだいじょう

ぶなんですけど、鳥にはきついんですよ」

 きょうも性悪フェネックは調子がいい。ていうか、話を振った私をほっといて盛り

あがっている。ふつうならセミ事務所ってどこにあるのとか聞いてきそうなものだ

けど、二人とも聞き流している。こっちから話すわけにもいかず、しかたなくハー

トランドビールをやる。解せない宵である。

「今晩って、たしか仲秋の名月じゃなかったっけ?」

 美和ちゃんがいう。 

「じゃあ飲みましょう。日高見頼んでいいですか?」

 性悪フェネックはこういうときだけ、私の顔をみる。

「死に際のこと?」と私がいう。

「はあ? 何いってんすか?」

「え、何が?」

「じゃなくて日高見」

 ここでふとわれに返る。美和ちゃんと性悪フェネックの話の途中から、私はぼ

んやりと死に際のことを考えはじめていた。中島らものように酔っぱらって階段

で頭打って酔った延長で死んでしまうとか、交通事故でとくにこれといった意識も

なく逝ってしまうとか、じゃあやっぱり意識のある自殺は正しいのではないかと

か、〆張鶴を入れながら思いをはせていた。

「きょうは不調ですね」

「うるせえ」  

「でもセミ事務所の事務局長って、たぶん何かのパクリでしょ」

 美和ちゃんまでが私をいじめる。

「井の頭公園の西のはしっこに夏限定で本当に事務所開いてるんだって」

「へえそうなんだ」

 美和ちゃんはあきらかに信じていない。性悪フェネックがここにいて酒を飲んで

いることは認めてもセミの事務所は信じない。

「だれたって、見るものって選択するじゃない。公園歩いて木を見るか鳥を見る

か人を見るか、人はそれぞれ選ぶでしょう。そこにあるからみんなが見ていると

思ったらそれはちがうでしょ」

「そうだけど」

「だったらここにいるフェネックを見えない人もいるってこと」

「そうかもね」と私が安易に納得していると、性悪フェネックが鳴きそうな顔をす

る。

「なんなんだよ、泣くなよいちいち」

「見えない人もいるんですか、ぼく」

「そりゃあいるよ」

「ほんとに……」

 涙をぽろぽろこぼす。めんどくさいキツネである。アフリカ原産のくせに泣くなよ

すぐ。

「だから仮定の話よ、仮定」と美和ちゃんがいっても、もうおそい。

「いつか消えてなくなったりして。カズオイシグロの『わたしを離さないで』みたい

なことになってきたな」

「なんですかそれ?」

 涙目なのに、きっとして私をにらむ。

「あ、いや、なんでもない」

「いいじゃない、いまここにいるんだから。ほら日高見来たよ。飲みましょ」

 性悪フェネックはそのあとあきらかに落ちこんで、あまり話に加わってこなかっ

た。まあ酒場とはそういうものでもある。だれかと行ってもひとりになることもある

し、ひとりで行っても囲まれる感じがすることもある。

 この日のチラシは次のようなものだった。

 はい、注目~。今週の「あしたの私を好きになる西荻窪支部」のテーマは、夭

折の詩人です。生前、いくら詩を書いてもだれにも評価されずに、失意のまま夭

折してしまった詩人が、死んだあとから評価され、歴史に残ったりしてしまう。こ

れが今週、私たちがめざすものです。

 いいですか。たとえばそこにいる鳴かず飛ばずのコムラ君や勤め人のみなさ

ん。何をやってもうまくいかなくても、自分を夭折の詩人と思えばいいんです。夭

折の詩人と思えば、生きているうちはぱっとしなかったけど、死んだらすごいこと

になると思えば、その一瞬でも多幸感にあふれることができるのです。それでい

いのです。死んだらどうせどうなるかわかりませんからね。

 *  *  *

今宵は仲秋明月

初恋を偲ぶ夜

われら万障くりあはせ

よしの屋で独り酒をのむ

 
春さん蛸のぶつ切りをくれえ

それも塩でくれえ

酒はあついのがよい

それから枝豆を一皿

ああ蛸のぶつ切りは臍みたいだ

われら先ず腰かけに坐りなほし

静かに酒をつぐ

枝豆から湯気が立つ

今宵は仲秋明月

初恋を偲ぶ夜

われら万障くりあはせ

よしの屋で独り酒をのむ

(新橋よしの屋にて)

(「逸題」井伏鱒二)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

遠足でひとりごはんの小学生とクマゼミと西荻の舞姫

九月○日(土)

 さっきから西荻窪の酒場で性悪フェネックと美和ちゃんに、きのうのことを話し

ているのだけど、うまく伝わらない。

 昼前に井の頭公園を歩いていたら、小学二年ぐらいの子どもたちが遠足に来

ていた。ちびっ子たちは、野外ステージの前で、四、五人のグループになって敷

物の上に足を伸ばし、弁当を食べていた。きゃあきゃあと、ごくふつうに楽しそう

な光景だった。

 たぶん、このなかにもいるんだろうなと思って探すと、やっぱりいた。グループ

のはざまで一人で敷物を敷いて弁当を食べている子どもが二人いた。どっちも

男の子で、彼らはグループのはしっこではなく、まんなかあたりのすきまにちょこ

んと座っていた。かたくななとか、こわばった表情という言葉をつい使ってしまい

そうになるけど、そんなこっちの安易な想像とは関係なく、そこに座って、だれに

話しかけることもなく、だれかに話しかけられることもなく、おにぎりを食べてい

た。少し胸が熱くなったけど、二人にはそれは話さなかった。

 その日、十五時をまわったころに、神保町の三省堂書店の近くを歩いていた。

近くのビルが改装工事をしていて、ちょうど休憩時間である。鳶のおにいちゃん

やおっさんが、ビルの前の足場の鉄板に座って缶コーヒーを飲んでいる。ひとり

やたら笑う茶髪の若者がいて、それにつられてみんな楽しそうに見える。で、や

っぱりここにもいた。五人組から五メートルぐらい離れたところで、五十過ぎのお

っさんが彼らに背を向けて座っている。たばこを吸って、そのたばこを見つめて

いた。こっちは、見るからにかたくなな顔をしていた。

「たぶん、現場でひとりでたばこを吸い続けすぎたために、顔がそうやってかた

まったんですよ」

 ハートランドビールを飲みながら、性悪フェネックはいう。

「そうかな。あたしはそうは思わないけどな」

 これは美和ちゃんである。

「そうやってひとりでいつづけたって表情なんてかたまらないし、コムラさんが見

たときにたまたまそうだっただけというか、朝、こどもの顔を見ているから、勝手

に関係づけて、そうやって見えただけじゃないかな」

「つまり、おれの説明が悪い」

「そうですね。いつもですけど」

「そうね」

 そういうところで、性悪フェネックと美和ちゃんは同調する。ここから、以前つく

った『友だち100人できません』という本の話をしたかった(つまり自慢したかっ

た)のに、性悪フェネックは、ついでに水茄子の浅漬けと新さんまの塩焼きとだし

巻きを頼みましょうと勝手な注文をしている。

 何か口をはさまなければならない。

「つまり、そのふたつの光景が同時に見られなければ、ここで話すこともなかっ

たし、勘違いだけど、子どもにはまだこわばったものがなくて、時間の経過した

大人にはそのこわばったものが蓄積としてあるように見えたというか、その勘違

いした図式を安易に展開できたおかげで、いまこうして話ができたということにも

なるよね」

「話ができたからって、私たちにまで、そのへたなエッセイみたいな構成を、おっ

つけられてもこまるわね」

「そうです、そうです。あ、水茄子きました」

「頼んでないよ」

「えっ、さっきいいっていってましたよ」

「人間だけ」

「ええっ、それ八つ当たりですか」

「まあまあ、いいじゃないのそこらへんはね」と美和ちゃんが話をおさめる。

「今年、私、井の頭公園で三回クマゼミの鳴き声聞いたんだけど、あれって、み

んなシュワシュワシュワと鳴くっていうけど、私にはシネシネシネシネって聞こえ

るの。いつだったか高校生のときに友だちから聞いてから、シネシネシネシネと

しか聞こえなくなっちゃった」

「あ、ぼくもきょうからシネシネです」

 性悪フェネックが適当なこという。無視する。

「でもさあ美和ちゃん、夏の朝からシネシネシネシネとせわしくせっつかれたたい

へんだよ。クマゼミシネシネ団だな、それじゃあ」

「だから夏の朝はいつも、死なない死なない死なないっていいかえしてたの」

 美和ちゃんがいいながら笑ったので、私も性悪フェネックも笑った。

「なんか楽しいな」

「いつも楽しいだろ」

「だって美和ちゃんがいないころは、コムラさん説教ばっかだったもんな」

 性悪フェネックがめいっぱいしょんぼりした感じをかもしだす。

「そんなことないだろ。おもしろおかしいこととか話してたよ」

「なんか、おもしろがらせようおもしろがらせようみたいことばっかでした」

 一介のキツネ風情に、だめ出しされる。

「だから美和ちゃんが来てくれるようになって、ほんとうにうれしいな」

 私もそうだけど、ここで同意すると性悪フェネックの論旨にすべて乗っかること

になる。

「そう? じゃあ、いつでも呼んでね」

「はい」

「じゃあ乾杯」

「乾杯~」

 私をさしおいて、二人で盛り上がっている。

「このまえ見た話、聞きたい?」

「聞きたい、聞きたいです」

 私はひとりでさんまをつつく。

「六時すぎころだったかな、そろそろ暗くなってきてたんだけど、西荻駅の南口の

ところでね、よくある蛍光色のポロシャツ着た女の人がいたのね」

「あれでしょ、コンタクトレンズのティッシュ配りの人でしょ」

「たぶん、それなんだけど、女の人がティッシュを差し出しても、だれも受け取ら

ないの。あたしは駅で待ち合わせしてたから、十分ぐらい見てたんだけど、受け

取ったのおじいさんひとりだよ。あ、私も日高見にする」

 私が注文した日高見を二合にかえてもらう。

「じゃあぼくもそれでいいや」

「フェネックはハートランドビールを飲み終わってから」

 性悪フェネックに、安易に相乗りさせてはいけない。

 美和ちゃんは、私と性悪フェネックのいさかいに参加することもなく、話を続け

る。

「その女の人、とっても太っていて、右手でティッシュを差し出して無視されると、

その手をひねりあげるようにして次の人の前で下ろすのね。でもまた無視されて

その少し前には、左手もすれ違いそうな人の前に出すの。しばらく見てたら、そ

こにはリズムがあって、女の人はティッシュは受け取ってもらえないものと割りき

って、カチャーシーを舞っている、そういう類の舞いの意識をしているはずって思

えたら、そうとしか見えなくなったの」

「西荻の舞姫だね」 

「なんかそういう名前をかぶせることで、色がついちゃうというか、本人の意思や

表現方法を無視して陳腐化しないほうがいいと思う。公園の小学生の二の舞に

なっちゃうから」

「レッテル化ですね」と性悪フェネックが火に油をそそぐ。

「いや、その美和ちゃんの話から想像して、そのせつない感じを出したかっただ

けなんだけどね」

「それ、太っていたからとあたしがいったことから引っぱってきての想像でしょ。だ

って舞姫という情報は彼女はひとつも発してなくて、ティッシュを配る人としてみ

んなの前にいたんだから」

 きょうの私は何かと分が悪い。しかし、それを口にすると、さらに劣勢に立たさ

れることは目に見えている。

「いま、こまってますよ」

 性悪フェネックにいわれる。こういうときは笑顔で酒を飲むにかぎる。美和ちゃ

んもべつに機嫌を損ねているわけではない。「さんま、おいしいよ」と二人にすす

めてみる。

「舞姫がなんで、せつないんですか」と聞いてくる性悪フェネックは無視して、吉

祥寺のファミリーマートに寄ったときの話をする。「そのレジの女の子はさあ、手

の甲にシャルドネ、箱、ガリガリって書いてあったんだよね」

「あ、だし巻き来たあ」

 美和ちゃんが声を出すと、性悪フェネックも賛同する。

「今晩のはいつもより大きいですよ、美和ちゃん」

 当然私のファミマ話はさえぎられ、美和ちゃんが、すずしくなったからランニン

グを再開しようかなとか、性悪フェネックが、それならいっしょに雑木林をじぐざく

に走りましょう、ぼくはテンより全然速いですからとかの話になる。

 しかたがないから私も、玉川上水を走ると太宰治の呪いで深酒をしてしまうと

かの話をもちだすが、とくに反応はなかった。

 家に帰ると、例のチラシが入っている。もうなんか定番化してて、「時間ですよ

昭和元年」の希木樹林が部屋に戻って叫ぶ「ジュリ~」化している。

 はい、注目~。「あしたの私を好きになる西荻窪支部」の今週のテーマは「目

先がすべて」です。いいですか。人間、目先がすべてを救います。あるいは目先

がすべてを陥れます。目先のことだからと舐めていてはいけません。いま、眼に

見えるものが、いまの時点ではもっとも大事にしなければならないことなのです。

 本当の私はこんなものじゃない。はい、そうですね。私はここにいるべき人間じ

ゃない。ほう、それはそれは。こんな人にバカにされるレベルではないの私は。

おやおやたいへんですね。

 みなさん、目先のことをたいそうないがしろにしてくれます。でも、これたとえ

ば、こういってはなんですが、頭の悪い上司がいて仕事が進まないとかの悩み

がある人がいるとします。その人には、その悩みはそれはそれは深くてつらく

て、ある意味、崇高なものだったりもします。その悩みにくらべたら、目先のこと

なんてと勘違いします。

 そんな人は目先を大事にしてください。たとえば、詰め替え用洗剤の空き袋を

たたみます。くるくる巻いてみてください。すると、最後に斜めに切った口から、

シャボン玉がぽん、ぽんと出てきたりします。言葉にするとなんてことないですけ

ど、これ見てるだけで眉間のシワはしゅっとなくなったりするものです。

 目先ってありがたいものです。そうでないことも多いけど、自分の脳の中に居

座る悩みなり強迫観念なり妄想なりともわりと互角なのです。はい、きょうはこれ

をおぼえて帰りましょう。

 途中から読むのをやめて、ハートランドビールを出して飲んだ。ミックの新しい

バンド、攻めてる感じでいいですとか、ラジオのFM横浜のだれかがしゃべって

いる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

継続は力なりと三鷹スリラー連と見たことない新幹線ホーム

九月○日(土)

 朝から暑い。でもまあ土曜日だから、井の頭公園のジブリ美術館横の四百メ

ートルトラックを走る。二日酔いのため、二十分もたたないうちから歩きたくな

る。

 マラソン選手の君原健二は、レース中につらくなると「あの電柱まで走ろう」と

みずからを鼓舞して、フルマラソンを棄権しなかった。マラソン選手ではない私

は、つらくなると「あの木陰に着いたら歩こう」と鼓舞する。逆だけど。

 つまり、たらたらと走っていたら、三鷹のどこかの陸上部の女子中学生三人組

に、すっと抜かれる。小柄で真っ黒に日焼けした彼女たちの白いTシャツの背中

には、三人とも縦書きの書き文字風の文字がプリントされている。

「継続は力なり」

「継続は力なり」

「継続は力なり」

 すみませんすみません、がんばりますという気に無理やりさせられる。なんと

か止まらずに走りつづける。「はっはっ、継続は、はっはっ、力なり、はっはっ」と

口ずさんでふんばる。

 しばらく走ると、私を抜いた中学生たちが木陰に座ってお茶を飲んでいた。ほ

かにも八人の「継続は力なり」がいて、嵐がどうのこうのと、みんなで笑ってい

た。……。

 このように、井の頭公園の四百メートルでは、いろいろな陸上部が練習してい

る。継続は力なり中学のほかにも、たとえば、いつも声出していこう高校の陸上

部がいる。彼らはアップと呼ばれる全員のジョギングのときに「元気出していき

まっしょ」「はいっ」「声出していきましっしょ」「はいっ」「勇気出していきまっしょ」

「はいっ」と、キャプテンの呼びかけに、男女の部員二十人ぐらいが返事をする。

じつに威勢がいい。かけ声と返事とその次のかけ声にも間がなく、続けざまに

「はいっ、はいっ、はいっ」という感じに聞こえてくる。

 たまたま近くを走っていると、つられて「声出していきまっしょ」「はいっ」の「は

いっ」の部分で声を出してしまうことがある。新橋の立ち飲み屋の有線からハニ

ードリッパーズのシー・オブ・ラブが聞こえてきたときと同じような反応である。

 しかし、そういうときにかぎって近くにコーチの教師がいたりする。で、年下の

女先生に露骨ににらまれたりする。「あ、いえ、そんな、全然、全然」というような

顔をつくるが、女先生の不審者を見るようなこわぱった表情はかわらず、私は

私で少しうなだれた感じで走り去る(走ってるから逃げているわけではない)。

「元気出していきまっしょ」のかけ声が遠くで聞こえる。「ムリです」と小さく口にす

る。晩夏の朝の小さな悲劇なんて、こんなふうにいろんなところで多発している

のである。

「はいっ……はいっ……はいっ……」

 このかけ声は、また違う中学の四百メートルリレーメンバーの練習である。彼

らは四人で一列に並んでゆっくり走りながら、バトンを渡していく。そのときの合

図の「はい」である。後ろの走者がバトンを前に突き出す。そのバトンを見ないで

つかんで腕を上に跳ね上げる。見た目、受け取る側がぞんざいに見えるけど、

たぶんそれなりの理由がある(知らないけど)。 

 このリレーの練習は、走ってバトンを渡すだけの行為を繰りかえす。本人たち

はともかく、じつに楽しそうに見える。いちど聞いてみたいものだが、声をかけた

瞬間に逮捕されそうなので、やめておく。でも、いいな陸上部。監督とかではな

く、選手になりたいぐらいである。八十何歳だかのアフリカの小学生みたいでい

いから。

 で、トラックには、陸上部ではないクラブも活動している。たとえば、三鷹シル

バー連という名の老人の集団がいる。いまはもういないかもしれないけれど、夏

の夜の六時になると、四百メートルトラックのホームストレッチあたりに老人が集

まっていた。

 わらわらという言葉がぴったりくるように、あちこちから老人がホームストレッチ

めざして歩いてくる。総勢三十人はいる。声をかけあうわけでも久闊を叙するわ

けでもない。手練のラジオ体操マニアのように、無駄な動きをせずに三、四、五

レーンあたりに四列に並ぶ。よろよろさえしなければ、鍛えられたレスキュー隊

スーパーシニアの部である。

 先頭の禿頭の老人が「三鷹シルバー連」の提灯を持つ(自治会長にうってつけ

の顔のつくりをしている)。列の真ん中あたりにいる老人が、ラジカセの再生ボタ

ンを押す(この人はその後、ラジカセを抱えたまま足だけステップを続けていた。

まるで老人ラッパーのようだった)。

「チャラ~リ、チャリラリラリラリ~」と、阿波踊りの音頭が流れる。老人たちが両

手を顔の前まであげ、手首をきりかえす。すり足で進みはじめる。腰を落とし、背

筋を伸ばし前を見つめる。何もかもが三秒前とはちがう。踊っているにもかかわ

らず、全体に静かで、ゾンビのように集まっていたときとは別人のように、動きに

キレがある。夕闇に、老人と阿波踊り(キレあり)。三鷹スリラー連である。

 いつもならここで西荻窪に飲みに出かけて、性悪フェネックと実りのない話を無

駄に展開するところだが、私だって、夜な夜な飲み歩いているわけではない。今

晩は家で、吉田健一の「乞食王子」(講談社文芸文庫・これ虚実ないまぜで超い

いっす)とか、芝崎友香の「虹色と幸運」(筑摩書房・ときどきこんがらがったりす

るところがリアルでいいっす)を読む。

 読みながら、ハートランドビールも飲む。井の頭公園の向こうから性悪フェネッ

クの遠吠えが聞こえた気がするけど、もちろん勘違いだと思う。何も聞こえない

ふりをして、読書をつづける。夜はもう涼しい。こんな夜ばかりだといいのだが、

そればかりでもさびしい。あしたは飲みに行こうかな。

 その晩の夢は、こんなことになっていた。

 東京駅に行く。東海・山陽新幹線の改札を入って、チケットにある番数のホー

ムに向かう。普通はない三十八番線である。ここでおかしいと気づけばいいの

に、夢の中ではそうはいかない。むしろ、いそいそと進む(夢の中の私は、現実

とはちがって何かと前向きである)。

 東海・山陽新幹線のホームはすべて階段を上がった先にあるのに、そのさら

に先に行くと、チケットの番数のホームは地下に降りるようになっていた。ホー

ムまで下りると、バケツがいくつも重ねて置かれていたり、壁にモップが何本も

立てかけられていたり、白いゆるんだヒモに雑巾と軍手が干してある。荷物の入

った台車も四、五台、雑に置かれていたりする。ホームというより、ホーム下の

業務用の通路の感じである。

 姿勢のいい年配の駅員が歩いている。内田百閒の随筆に出てきそうなカイゼ

ルひげの駅員である。

「ここ、新幹線のホームですか?」

「そうだが」

 カイゼルひげは想像どおり、尊大このうえない。

「でも、のぞみで京都に行くんですけど」

「行けばいいではないか」

「このホームに、のぞみは来ますか?」

「来ない。ここは新幹線便とかを乗せるところだからな」

 私の場合、夢でも現実でも、話がかみ合うほうが僥倖である。

「でも、のぞみのチケットですよ」

「どれ」とカイゼルひげが私のチケットを遠めに眺める。いまどき「どれ」と発する

人なんていない。夢って気づけよな。

「これは、中の下の券だから、のぞみはムリだな」

「そんなこと、どこにも書いてないですよ」

「書いたらたいへんなことになる。いまは四民平等の世の中なんだから。われわ

れは券の色で判断する。この券は黄色だから、中の下なんだな」

 どう見ても、いつもの水色にしか見えないけれど、中の下といわれたら、それ

だけで抵抗する気がなくなる。

「中の下だけは、本当だもんな」(納得することに納得いかないけど)

「青年、なんでも疑ってかからなくちゃな」

 カイゼルひげは意味深なのかまるで浅いのかわからないようなことを口にする

と、階段で上に行ってしまった。

 そのあとどんな新幹線が来たかまではおぼえていない。そこまでの想像力は

ないから、たぶん昔のひかり号みたいなのが来て、京都にでも行ったのだと思

う。

 朝起きたら、「あしたの私を好きになる西荻窪支部」のチラシが入っていたが、

それはまた別の機会に。それにしても涼しくなった。セミはかろうじて鳴いている

けど。

*  *  *

今日ふるさとの母者から

ちよつといいものを送つて来た

百両のカハセを送つて来た

ひといきつけるといふものだらう

ところが母者は手紙で申さるる

お前このごろ横着に候

これをしみじみご覧ありたしと

私の六つのときの写真を送つた来た

私は四十すぎたおやぢである

古ぼけた写真に用はない

私は夜ふけて原稿書くのが商売だ

写真などよりドテラがいい

私は着たきりの着たきり雀

襟垢は首にひんやりとする

それで机の前に坐るにも

かうして前こごみに坐ります

今宵は零下何度の寒さだらう

ペンのインクも凍てついた

鼻水ばかり流れ出る

れでも詩を書く痩せ我慢

母者は手紙で申さるる

お前の痩せ我慢は無駄ごとだ

小説など何の益にか相成るや

田舎に帰れよと申さるる

母者は将来ぐちつぽい

私を横着者だと申さるる

私に山をば愛せと申さるる

土地をば愛せと申さるる

祖先を愛せよと申さるる

母者は将来のしわんばう

私に積立貯金せよと申さるる

お祖師様を拝めと申さるる

悲しいかなや母者びと

「寒夜母を思う」(井伏鱒二)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

インドの白ワインとヒグラシの代表代行と夢の中のフロッピー

八月○日(土)

 薄曇りの朝に、井の頭公園のジブリ美術館の横で一時間走って、戻ってシャワ

ーを浴びていい気になってハートランドビールを飲んで、ついでに無職のハコさ

んからもらったインドの白ワインを飲んで、ティーシャツを洗濯してベランダに干

して、ハンカチにアイロンをかけようとしたところで眠くなった。午前十一時過ぎ

のことである。

 もう少しで昼になるのに、ぼってりした雲が流れて日が差しはじめたのに、カリ

ブーがちょうど眠りからさめて移動を始めるというのに、私はソファに横たわって

寝入ることになる。

 こういうときには、ろくな夢を見ない。

 夢はこう始まる。

 よせばいいのに、家にひとりでいる。夢にはよくあるけど、何をしているわけで

はない。普通にしょんぼりしている。昼下がりで、近くの公園ではアブラゼミとミ

ンミンゼミがこれでもかと鳴いている。季節はいまと同じことになっている。私の

脳のクセのせいで、夢は、そういうところにはあまり凝らない。

 呼び鈴が鳴る。村上春樹でなくても、やれやれと思う。現実なら出ないところ

を、夢の中の私はそれでもしかたなくドアを開く。

「ヒグラシの代表代行のマツヤマです」

 短髪で、VANジャケットの紺ブレで、ブルックスブラザーズのブルーオックスフ

ォードポロカラーのシャツに、どこかのレジメンタルタイをしめた、ざっくり、こざっ

ぱりした青年はそういった。

「おじゃまします。ちなみにブルックスブラザーズじゃなくてインディビジュアライ

ズドシャツです」(シャツの名前なんて口に出してないのに、そんなことをいう。夢

だから)

「はあ」

 青年は上がれともいわないのに部屋に入り、テーブルの前に陣取る。座ると、

ブレザーの前ボタンをはずした。二秒ぐらいでそういうことになっていた。

「じつはこまっていまして」

「はあ」

「ぜひ、ご協力をいただけないかと」

「はあ」

「クマゼミをごぞんじですか?」

 西日本を中心に生息し、夏の朝だけ「シネシネシネシネシネ」と鳴く、せわしな

くかまびすしいセミである。

「イメージとしては、夏のシネシネ団」

「そういうの、どうでもいいんです」

 そういうのといわれてもこまるが、じゃあ夏休み帳の感じというと、無視され

た。

「このクマゼミが最近井の頭公園にも出てきて、とくに朝のヒグラシメンバーの婚

活にさしさわりがあるんです」

 何を言っているのかわからない。セミじゃないし。

「クマゼミがうるさくて、ヒグラシがいくら鳴いてもメスにその音が届かなければ

死活問題なんです。しかもメンバーの中には野川公園に逃れようして、途中で

ハシブトカラスに食われた気の毒なヒグラシもいるんです。やまもとってヤツで

すけど」

 ジブリ美術館の横の樫の木に逼塞していたら、頭の悪そうな小学四年生の子

どもの網につかまって連れ去られたり(ヒヤマ)、横の動物園の桜の樹に隠れて

いたら、アリクイ(現実にはいない)に不用意に食べられたメンバー(コバヤシ)も

いるというけど、私にはどうすることもできない。

「いや、できます」

 夢だからしかたないけど、私はいま、ヒグラシ風情にやりこめられている。

「言葉をもってるでしょう」

「エスペラント語とウラル・アルタイ語とマルチ商法の失地回復時の勧誘トークと

かもできないけど」

「そういうのもいいんです。ひとつだけなんです。たったひとつ」

「ひとりは万人のために、万人はヒグラシのために」

「茶化さないでくれませんか。ヒグラシの耳鳴りとか仕込んでもいいんですよ」 

 これではヒグラシの圧力団体である。でも耳鳴りはイヤかも。

「あ、じゃあ、はい。聞きます、聞きます」

「それでいいんです。では、うるさい、と言ってください」

「うるさい」

「声が小さい」

「うるさいっ」

「通りが悪い」

「うるさいっっ」

 ヒグラシ代表は耳をすます感じでうつむいて、レジメンタルタイの位置を正して

口元に手をやった。こいつほんとにヒグラシなのかよと口にはしない。夢だから

しかたがないことにする。

「いいでしょう。特例的に合格とします」

 ヒグラシ代表が顔をあげる。いくら夢とはいえ、私もなすがまますぎる。

「あしたから、一週間、会社に行くときに井の頭公園でクマゼミが聞こえたら『う

るさいっっ』と木に向かって叫んでください。最後の感じで、やつらが鳴きやむま

で連呼してください。ていうか、するように」

「ほかにいるでしょう。遠慮のないカイツブリとか強欲な山鳩とか」

「もう二十八種の生物にあたって、ここに行き着いているんです。あなたが特別

なわけでもなんでもないのです。言われたとおりにすればいいのです」

 でもなあ。

「いいですか。ものごとというものは、一度、解せないと、解せないことは拡大再

生産を続けてしまうんです。あなたも、わたしがヒグラシ代表代行であることを受

け入れた瞬間から、この話を飲まざるをえなくなっているんです」

 わかるようでまるでわからないが、はあ、と答えると、「では、お礼に鳴きましょ

う、それっ」と代表が右手をあげると、公園からヒグラシがいっせいに鳴きはじめ

た。まるで、ありがたくないお礼である。

 カナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ。

それが、夢の終わりの合図だった。起きると、昼すぎなのにそばの公園では、ヒ

グラシがカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナと鳴いていた。部屋に

ヒグラシの代表はいなかったけど。

「たぶん、いたんじゃないの? ひゅるるるるってヒグラシに戻ってカーテンのす

そとかクーラーと天井のすきまのところとかに隠れてたんじゃない?」

 夕方、西荻窪の酒場で美和ちゃんがいう。

「いまごろヒグラシが宴会やってますよ、あの部屋で」

 性悪フェネックまで調子に乗っていう。

「音がつながってたんだから、代表は本当に来たのかもしれないしれないけど、

それが本当ということと、それを信じて受け入れるということは違うから、これは

夢ということで終わらせる」

「きっぱりいうと物事が通ると信じている典型の言い方ですね。形から入って形

から出ていくっていうか」   

 性悪フェネックの言葉に美和ちゃんが笑う。

「たしかに声を大にしていってたね」

 性悪フェネックはさら調子を出してきた。

「そういうのを日ごろいちばんバカにしているくせに、追いつめられると、見境が

なくなるんです。このまえだって太った白猫が前を横切るかと思ったら、途中で

引き返してしまったことを何かの迷信みたいに悩んでいて、いったい不幸になる

のか幸せになるのか宙ぶらりんすぎる、私の身に何が起きるのでしょうかニー

ル・ヤング様って嘆いていました、ここで」

 いちいち本当のことだから、これといった反論もできない。しかたがないからハ

ートランドビールを飲む。

 じつは夢の話はもうひとつあった。だけど、大きな声のつまらなさを笑いながら

話す美和ちゃんと、いつのまにか〆張鶴を飲んでいる性悪フェネックの顔を見て

たら、話したものかどうか迷いはじめた。

 こんな夢である。

 天井も壁も白くて机も白い、それはおしゃれな編集部に私はいた。「『イマジン』

かよ」の勢いだが、夢の中の私はそんなつっこみなんかせず、ありえないぐらい

さわやかに仕事をしている。なんの編集をしてるんだかわからないけど、違和感

はない。いっしょにいる編集部員も、現実には見たことない人ばかりで、夢限定

の「気の置けない仲間」仕様の人たちである。あくまで、さわやか。リッチー・ブラ

ックモアみたいな風貌の校閲のおっさんまでさわやか。

 彼らはみんな、薄くて白いMacで仕事する。ひょいと片手で持って、中二階の

これまたおしゃれな打ち合わせルームとかに移動したりする。私もそういうことを

真似してみたいのだが、なぜか私だけ灰色の東芝ルポというワープロを使って

いる。そのせいで、私はみんなからこう呼ばれる。

「おい、フロッピー、メシに行こうか? ハハハハ」

 残念なことに、夢はここで終わっている。ニックネームはフロッピーみたいな話

をいまここで二人にするのは危険すぎる。今晩は黙っておくことにする。

「どうしたんですか? いつものひねくれた物言いが少ないですね。ね、美和ち

ゃん、コムラさん静かですよね」

「家にいるヒグラシのことが気になって、それどころじゃないとか」「そんなことな

いよ。いや、ヒグラシはもうどうでもよくて、いまはそのフロッピー」

 またよけいなことをいいかける。

「え、何それ?」

「新しい夢ですか? そうなんでしょう。そうなんですよたぶん、美和ちゃんもそう

思いませんか?」

 二人の追及に、さらに押し黙る夜。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«夕方の西荻窪の戎と夏の恋とスメルジャコフ二世